第九話「等価交換」ってなあに?

 わずかにちょっとそのむかし、郊外に位置する90坪ばかりの土地を仲介した時のことでした。わたしは買い手の分譲マンションメーカーとの取引を滞りなく終え、担当者のT氏と話をしていました。
「今回の土地の隣に古いこじんまりした料亭があるんだ。」と、T氏が窓の外の冬空をながめながら言いました。
「ああ。はい。南側の木造二階建ての建物ですね。」
「そうそう。そこの土地もあわせてマンションを建てることができたら、良いものが建てられると思うのだよ。どうだろう?売るつもりはないかどうか、一度交渉してきてくれないかねぇ?」
「もちろん。やらせていただきます。」

 さっそく次の日、わたしはその料亭を訪ねてみました。
「こんにちは!」ガラリと木戸をあけました。
「はーい」と奥から女将さんが出てきました。
「初めまして。宮崎といいます。実は、お宅の北側の土地を買った分譲マンションメーカーの代理で参りました。」挨拶をしながら、わたしはなんだか懐かしい気持ちになりました。

 女将さんは、工事の挨拶だと思われたようで
「それはそれは、お疲れ様。いつから工事にかかるの?」
「いえ、今日お伺いしたのは、工事の件とは違います。実は、北側の土地にマンションを建てる計画なのですが、もしよろしければ、お宅のこの料亭を買い取らせていただけないかというご相談で、参りました。」
「あらまあ!驚いた!そんなこと、考えたこともないわ。」
「そりゃそうですよね。また、日を改めます。」
「いえいえ、そういうお話なら、うちには必要ありませんよ。でもまあ、またお食事にでもどうぞ。」
交渉の始まりはいつもこんな感じです。

 帰り道を歩きながら、さっき料亭の玄関ロビーに入った瞬間に感じた懐かしさを思い出していました。がらんと広く、横にある下駄箱から木の匂いが懐かしい。なぜだろう・・・。そうです。わたしが幼少の頃に、よく母に連れられて行った、東北の母の実家に雰囲気が似ていたのです。

 母の実家は料亭ではなく旅館で、祖母が切り盛りしていました。大正時代に建てられた木造三階建の堂々とした建物で、観光目的よりビジネス目的の客が多く、富山の薬売り商人や、様々な職業の人が泊まる宿として繁盛していて、女中さんもたくさんいて賑やかでした。いまは代替わりして建物もコンクリート造で、もう廃業寸前です。
女将さんは、祖母よりはずっと若々しく都会的な印象でしたが、人を迎える温かい感じが祖母を思い出させてくれました。

何か、ご縁のようなものを感じて、その後も時々、訪ねていっては、世間話をしたり、私の田舎の話を聞いてもらったりしました。女将さんは、いやな顔をせずに、おもしろがって話をしてくれていました。

 新緑が目にまぶしくなった、ある日。
「実はねえ。」と女将さんが話しを切り出してこられました。
「うちもねえ、もうはやらなくなってきたのよ。建物も傷んできているし、最近は法事なんかの集まりも減ってねえ。先行きが不安だわ。」
「そうなんですか。」
「あなたの提案を聞いて、ここを売ってもいいかなって、家族で話したりもするのよ。」
「本当ですか?」
「でもねえ、問題が多いのよ。」
「といいますと?」
「ここを売ったら一体どこに住めばいいのかしら。子供夫婦と孫もここで一緒に暮らしてるしねえ。それに、不動産を売ったら税金がたいへんでしょ。それからまだあるのよ。売ってしまったら、わたしはどうやって収入を得たらいいのかしら。主人はもういないし。」
「問題が山積みですね。」
「そうなのよ。だから頭を悩ますの。」
「ふーむ。なんとかなるよう、知恵を絞って、いい案を考えてきます。」

売ることについての不安は、どれもその通りでした。とは言え、わたしには、この料亭を将来、単独で売ろうとしても、なかなか困難だろうと思えました。さて、どうしたものか、と考えながら歩いていると、「なんとかしてやれんねか?」と祖母の声が東北弁で聞こえてきました。そしてふと、「 等価交換 」というアイデアが浮かびました。

 わたしは、分譲マンションメーカーのT氏に、交渉の経過を報告し、「等価交換」の承諾を得ました。公認会計士にも今回のケースが可能かどうか確認しました。
わたしは、また、料亭をたずねました。
「女将さん、「等価交換」というのを、ご存じですか?」
「あら、なあに?それ?」
「そうですね。初めて耳にする言葉でしょうね。「等価交換」というのは、等しい価値を有するものを交換することなんですよ。」
「交換?」
「はい。まず、女将さんの土地と隣の土地を合わせた上に10階以上の分譲マンションを建てます。そして、女将さんは土地の価格に相当する分の部屋をもらうのです。」
「へえ?そんなことができるの?それで?」
「この分譲マンションメーカーは基本的にワンルームマンションを投資目的の顧客に販売しています。賃借人については、メーカーの賃貸部門が担当してくれます。マンションを今から設計するわけですから、交換する部分を女将さんの家族の住居と賃貸用の部屋にしてもらえばいいのです。しかも等価交換であれば譲渡税はほぼ無税です。」
「そんなうまい話があるの?よさそうだけど… 。一度書類にしてもらえるかしら?うちの税理士さんにも相談してみるわ。」
「はい。わかりました。また来ます。」
わたしは、すぐ、丁寧に等価交換契約書案を作って2日後にお渡ししました。
そして1週間後、電話がありました。
「基本的にはこれでいいと思います。それで一度知人の建築家にも会ってもらえるかしら?その時に分譲マンションメーカーの人にも来てもらって、もう一度説明してちょうだい。」

 後日、関係者に集まってもらい、わたしは改めて一つ一つ丁寧に説明しました。全員の合意を得て、最初の面談はうまくいきました。が、それは、まだ道半ばでした。そこから女将さんとT氏の攻防戦が始まったのです。
女将さん「わたしのこの土地、いくらくらいに評価してくれるの?安かったらやめるわ。」
T氏「宮崎君、できるだけ安くしよう。」
女将さん「わたしたちの部屋は最上階にしてね。」
T氏「宮崎君、相手の居住用スペースはなんとか2階にしてもらってくれ。上は高く売れるからね。」
女将さん「収益用は何部屋くれるの?6部屋がいいわ。」
T氏「収益用は、なんとか5部屋におさえてくれんか。」
と、万事がこの調子です。わたしは、ひとつひとつ、何とか合意を取り付け、夏の日差しが和らいだ頃、とうとう等価交換契約を締結できました。まもなくマンションの建築が始まり、女将さんにご家族用の住まいと収益用の部屋をお渡しできた時には、話が始まってから2年が経っていました。
「宮崎さん、本当にお世話になりました。あの日、あなたを追いかえさなくて良かったわ。」
「こちらもお話を聞いてもらって良かったです。」
「若い頃は料亭もはやったんだけど、時代は代わり主人も居なくなって大変だったの。私も歳を取ってしまって、ちょうど辞めどきだったのよ。」
今では大変喜んでマンションに住んでいただいています。

その日は久しぶりの外食することにしました。 Ciccio というお店でおいしいイタリアンを満喫。今回は時間がかかりましが、良い交渉になりました。次はどんな人や土地に会うのでしょう。

おわり