第五話ながいながい交渉の1年 ① -五軒長屋編-

 わずかにちょっとそのむかし、あるところに5軒連なる古い長屋がありました。靴屋に床屋に本屋に豆腐屋、端はタバコ屋と、それぞれ営んでおりました。近所には大きな市場もあり、たいへん賑わっていました。
 ある年のこと、新たな都市計画が始まり、長屋の前の道が幹線道路になりました。合わせて市場だった場所が消防署に変わり、やがて人通りは無くなってしまいました。今ではタバコ屋だけが細々と営んでいます。

 ある日、その長屋の本屋だった家主が、実家を売却してほしいというのです。彼は私の古い友人で、前の職場で大変お世話になっていました。わたしは二つ返事で引き受けることにしました。

 わたしはいつものように交渉をはじめました。手始めに同じ長屋の豆腐屋だったところを訪ねました。
「こんにちは。隣の家をお譲りしたいのですが、買っていただけませんか?」
「えぇ?本屋だったとこ?いらんなぁ。それよりウチの実家を買ってくださいよ。」と、興味を示しません。

 その後、どの家に持ちかけみても同じようなもので、むしろ価値の無くなった家を処分したいと言うのです。交渉エリアを広げてみましたが、誰からも良い返事をもらえませんでした。

 梅雨になったある日、長屋の奥にある廃屋の空家が売りに出ている事に気がつきました。長屋の路地を進むと屋根が朽ち落ちた空家と傷みの激しい長屋があるのです。ご近所では悩みの種になっていました。
「あんな物件でも売りに出るんやなぁ」

 それで私はハッとしました。
「待てよ、考えを変えよう!私が買ったらいいんや!私以外であそこを買う物好きはいないやろ。」そう思い、友人に言いました。
「あの家なんですが、なかなか買い手がつかないんです。そこでね、私が買おうと思います。それだけじゃない、あの長屋も裏にある問題の廃墟と長屋も一切買おうと思います。そうしてその一帯全てを更地にすれば、価値がないと思われている土地も価値が戻ります。綺麗な土地に戻せるんです!そうすれば買い手もきっと見つかりますよ。」
 そう言うと友人はびっくり。しかしすぐに納得して。
「さすが愛雅さん!思いもよらんかったわ!」

 こうして気分一新。再び交渉です。今度は買ってもらうのではなく、売ってもらうのです。
 まずは広告を出した家を訪ねました。すると人間というのは欲が出ます。広告に出ていた金額より多く要求するのです。これには呆れました。粘り強く交渉して、なんとか納得のいく価格で買い取りました。

 続いて以前訪ねた豆腐屋です。
「また来たんですか?いくら言われても買いませんよ。」
「いえいえ、違うんです。今日はあなたのあの家を買いに来ました。」
「え?」
 家主はびっくり。「買うてくれるですか?」
 しかしすぐに曇った顔をします。

詳しく話を聞くともう一人相続を主張する兄がおり、喧嘩をしていると言うのです。不仲なものだから会うこともない。会わないので 遺産相続 ができない。そうして放置したままになっているのです。私は考えました。どちらの相続人にも希望の満額支払えば解決するはずだと。
「わかりました。私が兄さんと話をつけてきましょう。 相続登記 もこちらでやります。おいくらなら譲っていただけますか?」
「え?まぁ、あの家は全部相続する権利があるから、全額欲しい。」
「全額って、おいくら欲しいんですか?」
「ん〜まぁそうやな…400万…とか。」
「そしたらそれで買いましょ。」
「え?ほんまに?それやったら、まぁ…。でも、あいつにはいくら払うんや?」
「それは言えません。」
「なんでや。あいつの方が多いのとちゃうやろな?」
「そんなこと気にするんでしたら、この話は無しにしましょう。見たところ価値は確かに400万円ぐらいですよ。200万ずつで分け合って、ご自分で処分してください。」
「いや、待って。わかった!もう聞かへん!400万で!」
もう一方もほとんど同じようなやり取りがあり、満足のいく価格を提示して買い取ることができました。
ようやく、その家の交渉は成立しました。

価値の無い土地を争うつまらない兄弟喧嘩。この交渉がなかったらいつまでも喧嘩していたことでしょう。
土地を綺麗にすることと、人のしがらみを無くすことは、ずいぶん似た所業のようです。

一仕事終え、今日は我が家でおいしいお造りで一杯飲みたい気分です。そこで清荒神市場内の魚屋の 魚建さん に立ち寄り、綺麗なアジを造りにさばいてもらいました。ラジオからは梅雨明けの知らせが届きました。

~五軒長屋編~ おわり